お地蔵さん Ojizosan 


わらじ地蔵 le Jizo aux sandales

このわらじ地蔵こそすべての始まり。この可愛らしさ、この微笑みに一目惚れ。牧牛先生のトレードマークで、間違いなく誰からも最も愛されてる作品。わらじ地蔵なしでは、小林牧牛を語ることは出来ない。

子供たちと一緒によく見た「日本昔話」の世界からそのまま出てきたみたい。そしてわらじを足に付けて、丹沢と谷川で沢登りをした私にとってとてもなじみ深い作品。

お地蔵さんは日本人にとって最も愛らしく、最も親しまれている菩薩です。このことを見事に表現したのがこの両手を胸前にあげて合掌するお地蔵さんです。

わらじ地蔵のもとは京都の鈴虫寺にいる幸福地蔵。私たち一人一人の願いを叶えに来てくれるように日本独特の履き物であるわらじを履いている。

このお地蔵さんはたった一つだけの願いを叶えてくれる。この幸福地蔵が迷わないように自分の住所と名前をお伝えすることが大切なようです。引越した場合新しい住所をお地蔵さまに直接に伝えなければならない。

専用のお守りを購入してからいつも長い長い列にならんで自分の番を待つ。 わらじ地蔵の前に立って、お守りを両手に挟みながら氏名、年齢、住所と願い事を一つ唱えます。 幸福地蔵はわらじを履いて三日後、願い事を叶えに歩いて来てくれるそうです。

なお、牧牛先生のわらじ地蔵にお願い事しても、効き目は全くない訳ではない。6年前、家に連れて帰った時、「一度でいいから、おしんの田中裕子に逢わせて下さい」とお願いしたところ、丹沢でおしんの小林綾子と登山をすることになった。

 


お地蔵さん(1) Ojizosan (1)

 

時々考えるが、どうしてこんなに優しい、心温まる微笑みと仕草が牧牛先生みたいな男から生まれてくるでしょう。本当に不思議です。そう思う人は少なくないと思います。

だが、牧牛先生が自分の手ではなく、自分の心で作品を作ってるからこそ、こういった人形を作れる。手は心の鏡。

お釈迦様が亡くなって、つぎに弥勒菩薩が出現するまで56億7000万年という気の遠くなる長い長い無仏の時代に入った。

その間、この世界と他の五つの世界で生きて、苦しんでいる人々を守って救ってくれるのが地蔵菩薩です。

本来、仏様になるはずだった地蔵菩薩は全ての生き物を救うまで、自身が仏になることを延期した。

「愛他主義」の結晶である地蔵菩薩に感謝。

  

 


お地蔵さん(2) Ojizosan (2)

リビングルームの階段ダンスに置いてあるこの大きめのお地蔵さんは来てくれるお客様を歓迎するような表情をしている。「来てくれて、ありがとう。」と言われたお客様は彼の頭、頬っぺた、指まで触りたくなる。最初の頃、「触るのはやめなさい!」と言っていたが、最近、何も言わなくなった。人の油、汗と感謝の気持ちでいくらか黒くなったこのお地蔵さんの目もとが愛らしいものとなった。

「全ての生き物を救うまで」といった自ら決めたこの仕事は非常にハードである。今、生きている我々だけでなく、地獄、餓鬼、畜生、修羅の世界を彷徨う魂そして、天上の天人をも救うために一所懸命働いてくれてる。この仕事を直接、お釈迦様から託されたとも言われている。

いずれにしても、こういった偉大な仕事を引き受けた地蔵菩薩はインド人だけではなく、中国人、韓国人そして特に日本人から愛されるようになった。

日本に入ったのは奈良時代で、民間まで広がったのは平安時代後期頃のようです。その頃から「地蔵菩薩」は日本で一番親しまれている「お地蔵さん」となって、道端などに石像がまつられるようになった。

 

 


笠地蔵 kasa jizo

                                               
やっぱり、どうしてもアマゾンのインディアンを思い出すのは私だけでしょうか。

アマゾンと言えばブラジル。ブラジルと言えば一回だけ踊る事になって踊れなかったランバダ。そうではなくって、ブラジルと言えば皆様が知らない日系人のポルトガル語の上田先生。

その上田先生が我が「ウサギ小屋」を訪問した際、牧牛先生の「縄跳びをする3人の女の子」の作品を見て「欲しい、欲しい」といって注文することになった。半年後、作品は出来上がった。その2ヶ月後、日本の対蹠地、ブラジルの首都ブラジリアから180km離れた田舎にある上田先生の宅まで連れられて、その3人の女の子は今はそこで縄跳びをしている。「郵便屋さん、お入んなさい 拾ってあげましょ 1枚、2枚、3枚... ありがとう」をポルトガル語でを歌ってるのでしょうか。

この笠地蔵の第一特徴は、触れば気持ちがよさそうな非常に太い耳です。第二に、ポパイ並の太い腕。第三に、顔の大きさを見るとあまり役に立ちそうもない小さな笠。まぁ、頭のてっぺんだけを守ればいいか。

今、この作品はテラスに置いたプランター、7本の小さなはぜの木に囲まれて、雨・風・雪に打たれながらいつも、蛍族の一人の私を見てくれている。うるさい牧牛先生と違って、たばこについて何も言わない。

喫煙家専用の身代わり地蔵はいるのでしょうか。

(なお、2004年7月19日、40年間のたばこ生活にピリオドを打ちました。)

 


檀陀地蔵/だんだじぞう danda Jizo 

このお地蔵さんは大きなよだれ掛けをしていて、左手には錫杖、右手には宝珠を持っている。地獄に堕ちた亡者の苦しみを救ってくれる檀陀地蔵です。

錫杖をよく見ると、先端にあるはずのわくと数個の輪がない。南八ヶ岳にある行者小屋の近辺に撮影したとき落とした。先端を見つけた人は是非こちらに送っていただけたら...

昔、辛い苦しい生活を送っていた民間人はその苦しみから救ってくれる菩薩は大歓迎だったに違いない。当時、村の周りには疫神と悪霊を防いたり、追い払う日本独特の道祖神、塞(さい)の神がありました。峠には行路の神、旅の神としても道祖神、塞の神が数多くあった。

こういった神に自然に取り込まれて、吸収されたのは「お地蔵さん」だったといわれている。

鎌倉時代あたりから「身代わり地蔵」の信仰が広がって色々なお地蔵さんを見るようになった:泥付地蔵等。15世紀未頃初めて六地蔵が見れるようになる。江戸時代には、子育地蔵、腹帯地蔵、片目地蔵、延命地蔵、数えられない位無数の地蔵が生まれた。

こうして、地蔵菩薩は日本人にとって、もっとも親しみ深い「お地蔵さん」に変わった。

 

 


檀陀地蔵/だんだじぞう (1) danda Jizo (1)

 

お地蔵さんに捧げた食べ物をいただいても罪にはならない。お腹がすいてたら、遠慮なく取って、頂くことが出来る。その代わりに、出来るときでいいから、返すのは礼儀となってる。

ある山小屋の小屋番の方は月1回のペースで、地蔵尾根に置いてあるお地蔵さんに捧げたお金をいただきに行く。その代わりに必ず何枚かのおかねを残す。全部を取ったら、罪になる。

素晴らしい心遣いだとは思いますが、本当にこれでいいのでしょうか。

この左のお地蔵さんは下の方と同様に地獄に堕ちた悪だった人の魂、苦しみを救う檀陀地蔵です。白い土で作られているこのお地蔵さんは完全な錫杖と珍しいよだれ掛けともっと珍しい宝珠を持っている。この宝珠は牧牛先生が私と一緒に飛騨高山の石の専門店で買われた物で濃い緑色をしている。

この宝珠の役目は調べてもはっきりしない部分があって困っている状態です。次のコメントにはそれなりの説明を書きましたがそれでいいかどうかどなたか是非教えて頂きたい。 

 


お地蔵さん(除蓋障地蔵/じょがいしょうじぞう) jogaisho Jizo

 

このお地蔵さんは除蓋障地蔵(大清淨地蔵/持地菩薩)と呼ばれています。人間界の様々な欲、恨み、ねたみ、といった煩悩に迷い、八つの苦しみに悩まされている我々人間を救ってくれるお地蔵さんです。かなり古い作品で、非常に広い右手は当時独特のもの。その右手には施無畏、左手には宝珠。

道路の脇、村の境界、登山道の入り口の所、海岸の近く、お寺の門前ではよくお地蔵さんを見かけます。お坊さんのような姿で真っ赤なよだれ掛けと帽子で飾られています。佐渡島では赤よりも白いよだれ掛けと帽子で飾られてる場合が多いです。

ほとんどのお地蔵さんはお坊さんの姿をしていますがそれは昔のお坊さんでしょうね。人々救う役目を持っていて、地味な生活をしていたお坊さんの姿でしょうね。今でもこういったお坊さんは大勢いるのでしょうが、高級外車に乗っているお坊さんもいらっしゃるのはちょっと... 

 


お地蔵さん(除蓋障地蔵/じょがいしょうじぞう)(1) jogaisho Jizo (1)

 

最近の作品で白い土で作られたこのお地蔵さんの手は上の作品の手と比較するとかなり小さくなりました。相変わらず足がでかい。しっかり土を踏んでいるような。上の作品と違って顔はかなり丸くなり、そしてあご先がない。

お地蔵さんだけではなく、お釈迦様、如来、菩薩の眉間には必ず白毫が付いています。それはいったいなんでしょう?20年前から調べていますがどうしても明確な解答は得られません。辞書には「白い巻き毛」と書いてありますが...

別に「神の毛」にこだわっているわけではないのですが...

お釈迦様の眉間にあったのは本当に毛でしょうかそれとも、仏教の大先生から言われたように「肉の塊」でしょうか。それともイボのようなものでしょうか。

誰か本当のことを教えて下さい。 

 


お地蔵さん(除蓋障地蔵/じょがいしょうじぞう)(2) jogaisho Jizo (2)

左の作品をじっと観察して下さい。「見えてこないもの」が一つあるんです。

仏教諸尊像によく用いられる頭光(ずこう)と呼ばれている頭部のうしろにある光の輪はちゃんと見えてますね。

仏身から輝く身光(しんこう)がきちっとした光背の形で現れているのも見えますね。

非常に珍しい長い袖も見えますね。

小さくても顔の目、口、鼻、耳はちゃんとありますね。

「見えてこないもの」、見えましたか。

それは、右手の小指。ない!別に悪いことをして自分で切ったということではありません。糸魚川から松本に通じる塩の道の途中にある「牛方宿」近辺の小石に混じってあるはずです。撮影中の事故です。

牧牛先生、何とかなりませんか?でも、足の指を切断して手にくっつけるのだけはだめですよ。

 

 


お地蔵さん(除蓋障地蔵/じょがいしょうじぞう)(3) jogaisho Jizo (3)

 

 

その上の作品より大きい。実に長い袖と面白い形の涎掛けをしている。大丈夫です、数えなくても指は20本そろっています。写真にはほとんど写ってないが立派な光背に頭光も描いてあります。

その代わりに下唇の半分はなくなっている。何時、何処で、どうしてなくなったのかについてはいっさい分かりません。

観音様をはじめ菩薩の頭には宝冠があります。ないのは56億7000万年後出現する弥勒菩薩と地蔵菩薩だけのようです。

人間道にいる私たちを苦しみから救ってくれるこのお地蔵さんの右手には施無畏(せむい)、左手には宝珠。中には合掌をせずに、数珠を保持する地蔵もいます(大清淨地蔵/持地菩薩)。そして蓮華の花を持っている。 

 


お地蔵さん(笠地蔵/除蓋障地蔵/じょがいしょうじぞう)(4) kasa jyougai Jizo (4)

 

何て愛らしい表情!何て小さな藁帽子!初めてこの方を見たとき、アマゾンの奥に住む赤土で固めた髪の毛のインディアンを思い浮かべて、笑い出した。お地蔵様、どうかこんな無礼な笑いを許して。

笠地蔵。日本人の温かく豊かな心をよく現す物の一つです。風、雨、雪に打たれても、常に穏やかな心と顔を保っているお地蔵さんに最初に笠を優しく付けて上げたのは誰でしょう?無邪気な女の子?それとも年令不明なおばさん?

上とその上の作品と同様にこの笠地蔵は蓮華座の上にいます。大雑把に言えば、蓮華座の上に座っているのが如来で、立っているのは菩薩。だがフランス語の文法と同じようにこのルールには無数の例外があって役に立たないルールとなってしまっています。非常に少ないが座っている地蔵菩薩もいます。

こんな愛くるしい笑顔のお地蔵さんですが、鎌倉時代から室町時代の武士の間では、地蔵菩薩が戦場にて矢取地蔵や縄目地蔵として現れて危急を救うといった話が広がったため、この地蔵に甲冑をつけ、右手に幡、左手に剣を持たせて、日本独特の勝軍地蔵(将軍地蔵〉を作り上げたのです。

戦場で武士を守る勝軍地蔵より畦道で雨・風から守られている笠地蔵のほうがいい!

 


合掌するお地蔵さん Jizo aux mains jointes

上の笠地蔵の同じように非常に太い腕をしている。そのために指が小さく見えてとても「可愛い」です。相変わらず、耳は太い。これくらい太い耳の人がいればかなり気持ち悪く感じると思いますが、牧牛先生の作品となるとそうではないのはなぜでしょうか。見方の問題でしょうか。

いつか必ず名を知られるようになるであろう若いカメラマンが家に来てくれた時にこのお地蔵さんを見て感動していた。まだ「売れていない写真家」で金銭的に苦しんでいた野村 修さんは、貯金するだけして、半年後高島屋デパートに出品されていた同方を連れて帰ることになった。

100体以上持てる私よりも苦しんで一体を手に入れた野村さんのほうが立派です。彼の名前を覚えて下さい。間違いなく、故前田真三先生なみの人になります。

手の指と、両方の掌を胸の前で合わせて合掌する牧牛先生のお地蔵さんはとても多い。ちなみに、このページに出ているお地蔵さん達はみんなそうです。

なお、合掌の姿をしている仏像(如来、菩薩、明王)は皆様が思うより少ないです。最もよく見られるのは、勢至菩薩(阿弥陀さんと観音さんと一緒の阿弥陀三尊の場合)、観音さん(特に千手観音の場合)。合掌する姿の地蔵菩薩はほとんどありませんがお地蔵さんはやっぱり多いです。

そこで、ずっと前から一つの疑問がありました。その疑問とはこれらのお地蔵さんが合掌する意味です。

いったい、どうしてお地蔵さんは手を合わせているのでしょうか。
いったい、誰に手を合わせているのでしょうか。


豆地蔵 mame Jizo

 

高さはわずか4cmでありながら、足はともかく指もちゃんとあって、相変わらず豊かな表情をしています。それに、立派な頭光(ずこう)が付いています。元々、大きな上り龍とセットになっていますが、撮影理由で別々にしました。なぜ牧牛先生は「お地蔵さんと龍」をセットにしたか、分かりません。これは恐らく、始まったばかりの今世紀最大の謎になると思います。

元々、合掌するという習慣は遠い昔のインドで礼法の一つとして生まれました。

「私はあなたを尊敬し、礼拝します」という意味で、手を合わせて「ナマステ」と挨拶していました。21世紀に入った今でもインドでは合掌するしきたりが残っています。

色々な宗教では、右手は清浄(神聖)、左手は不浄(凡夫)をあらわしていると信じられています。その両手を合わせることによって簡単に人間の真の姿を表現することが出来るのです。そしてその真の姿を相手に伝えます。中国語で手のひらを手心(たなごころ)と書く。合掌するとは、単に手を合わすのではなく、心を合わせるということです。

こういったことから、「合掌する」とは色々な意味を持つようになりました。

 


座っているお地蔵さん Jizo assis

 

座っているお地蔵さんは珍しいです。牧牛先生の世界でも現実の世界でも座っているお地蔵さんは非常に少ない。座っていると言っても、実際は片足を踏み下げた半跏像の形式です。安産と延命のご利益があるとのことから延命地蔵とよばれています。今まで見たこういった姿のお地蔵さんは数体だけです。その中で一番立派なものは大分県臼杵市の石仏です。

「合掌する」とは色々な意味を持っています。いくつか紹介してみましょう。

・自分の右手は仏の心、左手は衆生(凡夫)の心。あわせて自分の中にある心を表す。
・右手が仏、左手は迷いの世界にあるあらゆる生類を表していて、その両手を合わせることによって仏と衆生が合体した姿は成仏の相を表す。
・仏様と自分が一つの姿になれる願望を表す。
・仏やご先祖様を礼拝したり供養するときの根本である。
・二つの手を合わせて一つにするのは、心と体の統一を表している。
・二つのものが合するよりも、二つのものが一つの目的の為に合するを表す。
・合掌とは法華経の異名であることを示す。
・人と人、お互いに其の価値を心に尊重することを表す。
・合掌することによって身の領解につながる。
・で、奥さんに「お小遣いをあげて」と言って一生のお願いを表す。

 


馬とお地蔵さん Jizo à cheval

上の作品は非常に少ないと書きましたが馬に乗っているお地蔵さんはこれしかありません。世界で唯一の作品。色んな意味で「ユニーク」。何でお地蔵さんが馬に乗っているのか、今世紀二番目の謎でしょう。

先の話に戻りますが、「合掌する」の意味は多にもあるそうでまたまた並べさせて頂きます。

・合掌は色々な宗教の信者の祈りの時に共通のものである。
・合掌の姿には、信じ合う・支え合う・拝み合う心が宿っている。
・心が安定して、自然と素直な気持ちにさせてくれる動作。

・合掌するのは、相手がだれであれ相手の心を礼拝すること。
・言葉が通じなくても、相互に意志が通じる。
・おじぎと同様に合掌の挨拶ほど衛生的な礼はない...
・一生の間に、少しでも多く世間のお役にたつように、との願いと誓いを象徴する。
・生ある物の命をいただくことに対して感謝する気持ちを表す。


・自分の糧となってくれるものに対して有り難みを表す。
・そして、お巡りさんに「もう二度としませんから、見逃してくれ」と言って、やっぱり一生のお願いを表す。

「いったい、どうしてお地蔵さんは手を合わせているのでしょうか。誰に手を合わせているのでしょうか」という上の疑問に対して、自分なりの説明を次のページに書いてみましたので、よかったらご覧になって下さい。

 


祠付きお地蔵さん(1)  Ojizosan dans son sanctuaire (1)

4年前に牧牛先生からいただいた作品で、お地蔵さん自体はわずか3 cm。下のお地蔵さんと違って耳はたれています。その穏やかな顔をじっと見ると同じ気持ちにさせてくれます。祠というよりも洞窟でしょう。 なお、この祠/洞窟は窯の中で割れた大きいお地蔵さんの背中の部分です。捨てる代わりに再利用した牧牛先生に「ブラボー!」。

座禅をするお地蔵さん!いいですね。心が落ち着きます。

半眼の姿勢をとって、背中をピンと伸ばして、右掌の上に左掌を置いて、心の散乱を取り除いて、無我の境に入る。座禅の世界を見事に表した作品だと思います。

「ちゃんと拇指と拇指を接しているんでしょうか。」
「内科医が使用する拡大鏡を送っていただければお答えいたします。」

お地蔵さんによく合う花の一つはコスモスだとずっと前から思っていたが、あることが分かって考えを変えた。コスモスは元々はメキシコの花で日本に入ったのは19世紀の後半です。芝桜?北アメリカ原産。秋明菊?中国原産。

じゃ、万葉集に出ている馬酔木(あせび)はいかがですか。それともリンドウ?一人静?すみれ?そばの花?

吾木香(われもこう)はどうですか?皆様はどう思いますか。 

 


祠に入っているお地蔵さん(2)  Ojizosan dans son sanctuaire (2)

牧牛先生に頼んで作ってもらったこのお地蔵さんは家の守り神として一番いい場所においてあります。毎日、出かける前に水を差しあげている。意味のない行為と分かっていても...

この小さな社はなんとなく伊勢神宮の外宮に建てられてある東宝殿と西宝殿に似ています。写真でしか見た事のない、有史時代日本の穀倉・倉庫に基づいて建てられたこの建物には食べ物、着る物そして住居の神である豊受大神(とようけの神)が祭られています。日本建設の歴史の中で、最も古い形、そして最も美しい建物だと思っています。

この小さな社に入っているお地蔵さんには食べ物、着る物そして住居についてお願いできるでしょうか。

道端には合掌しているお地蔵様が多いです。どうしてでしょうか。誰に合掌をしているのでしょうか。

お釈迦様は特別な神通力を持った神様ではなく、仏陀になった人間です。人々と同じ悩みや不安を持った人間でした。仏様の姿は自身の中の仏性が現れた姿であって、自分自身の姿でもある。その仏様に手を合わせるのは、自分自身に手を合わせているともと考えられています。

私の考えでは、お地蔵さんが合掌しているのは、拝む人々に対して「私もあなたを尊敬し、礼拝します」という意味があるのでしょうね。

 

前を通り過ぎて行く笑っている人にも、悲しんでいる人にも仏様の命が宿っているから「尊敬し、礼拝します」との意味が含まれているでしょうね。

それに、祠を付けてくれて、いつも花と果物で飾ってくれている人間に感謝の意を込めて合掌しているに違いないです。

 


祠に入っているお地蔵さん(細部) Ojizosan dans son sanctuaire (détails)

 

この大きさでも、頭光付きで、顔には何とも言えない愛らしい表情。合掌する手には全ての指が彫ってあります。牧牛先生、すごい!でも、足は今一つかなぁ。

この小さな社に入っているお地蔵さんにお願い!

これからも私に食べ物、着る物そして住居を常に与えて下さい。

三つ星ランクの料理ではなく、炊きたての白いご飯に熱いシジミの味噌汁に野沢菜。時々、関さばか関アジを一匹を加えていただければ、いいのですが...

着る物はアルマーニの背広はいらない。作務衣だけでいい。

住居は、田園調布で2億円クラスのお家ではなく、田舎の小さなわらぶき屋根でいい。まぁ、出来たら屋根裏部屋、囲炉裏、掘り炬燵そして温泉の露天風呂付き。

このお地蔵さんの表情を改めて見ると「こらこら!人間って、勝手な生き物ですよね」と言っている気がしてならない。

わがまま言って、ごめんなさい。 

 


初期のお地蔵さん(1) OJIZOSAN DES DEBUTS (1)

 

手と指の太さ、ほとんど存在しない足に非常に存在感のある足指、手・足の指に彫られた色の違う爪。「きつい」ではなく「厳しい」顔と表情、全ては初期の作品を語っている。この作品は恐らく1995年頃作られた物です。

頭光、白毫、宝珠、そして全体の雰囲気、その全てがお地蔵さんを語ります。

激しさで溢れている心、抑えきれないどうしようもない悲しみのお地蔵さんです。彼を見るたびに、賽の河原の話を思い出します。

江戸時代の日本では死産は日常のものでした。無事に生まれても不衛生で乳幼児期に死ぬ数はかなり多かったようです。それに農村部では貧乏の為、「口減らし」と言って、生まれてきた子供の鼻と口をふさいで殺してしまうこともよくあったようです。

親に先立って死んだ子供が行くとされていたのは地獄の賽の河原でした。地蔵菩薩が子供を救うと信じられていた為、我が子の供養に、そして罪滅ぼしにと水子地蔵が造られるようになりました。この水子地蔵の特徴は赤いよだれ掛けをかけられていることです。食べ物、おもちゃ、風車などが供えられています。

幼児を亡くした親が賽の河原での我が子の安寧を願う心情で死後の世界で泣き嘆く子供の霊をなぐさめる地蔵菩薩の話は地蔵和讃に歌われるようになった。

 

これはこの世の事ならず / 死出の山路の裾野なる / 西院(さい)の河原の物語 / 聞くにつけても哀れなり / 二つ三つや四つ五つ / 十にも足らぬみどり子が / 西院の河原に集まりて / 父上恋し母恋し / 恋し恋しと泣く声は / この世の声とはこと変わり / 悲しさ骨身を通すなり / かのみどり子の所作として / 河原の石を取り集め / これにて廻向の塔を組む / 一重組んでは父のため / 二重組んでは母のため / 三重組んでは故郷の...

このお地蔵さんが両手で重そうに運んでいるのは「願うことはなんでも叶えられる宝珠」ではなく「人間のどうしようもない苦しみと悲しみの結晶」です。

 


初期のお地蔵さん(2) Ojizosan des débuts (2)

 

「ちょっと、庭で一服させて下さい」と言って、牧牛先生の家の庭に出たところ、植えてある観音竹の足元にこのお地蔵さんがいました。
見たことのない光背、実に長い長い細い指、白い数珠(じゅず)、怖いというか読めない表情...
「この方はだれですか」
「始めた頃造った作品。恥ずかしくって、人に見られたくない。」
「こんな立派な作品を?下さい。ちゃんと面倒を見てやりますから。下さい。」
「どうぞ。」
頂いたというよりも盗んだと言った方がいいこのお地蔵さんは上のお地蔵さんよりもさらに古く、1992年頃作られたと思われます。牧牛先生も忘れています。

今は、我がウサギ小屋のテラスで竜の髭に囲まれて、雨・風・雪に打たれて相変わらず読めない表情を変えずに...

地蔵経典は奈良時代に中国から伝わって来ました。地蔵菩薩は僧侶や貴族の間で注目されはじめました。平安時代後期,全国で仏教が広く浸透するにつれて,民間でも地蔵信仰が大いに発達しました。鎌倉時代になると「身代わり地蔵」の信仰が広がります。室町時代になって初めて六地蔵が見られるようになります。江戸時代になると無数の身代わり地蔵が生まれました。

全国には無数の身代わり地蔵がいます。幾つかの身代わり地蔵を並べてみました。

泥付地蔵 矢取り地蔵 縄目地蔵 勝軍地蔵 水子地蔵 子安地蔵 子育地蔵 延命地蔵 とげぬき地蔵 疱瘡地蔵 金焼地蔵 お春地蔵 豆木地蔵 いぼ地蔵 火防地蔵 火消し地蔵 盗難除地蔵 太陽地蔵 幸福地蔵 腰なし地蔵 足長地蔵 等々。

足長地蔵がいるなら、髪長地蔵がいてもいいではないか。

全国の皆様、この髪長地蔵がどこにいるか教えて下さい。

なお、そんな地蔵がいないからと言って新品及びいらなくなったカツラ、こんぶ、たたきブラシ等を送ることは堅くお断りいたします。

特になめ牛。