羅漢さんはお釈迦様の弟子で、仏教の修行の最高段階に達した「人」です。仏教の教えを究めて悟りを得た最高の仏教者です。元々は仏法を護持することを誓った十六人の弟子達でした。お釈迦様が亡くなった後、行われた第一回目の教典編纂に五百人の弟子が集まりました。
そして、お釈迦様の教えをまとめて、正しく伝えるためにお説法を編集しました。彼らは世の為・人の為に、正式に成文化され仏典(お経)を広めようと活動している人々でした。ちなみに、中国では「五百」という数字は日本の「八百」と同じように「沢山、多い」を意味する数字です。
日本で「お釈迦様の命を直に受けた十六羅漢」に対する信仰が広がったのは鎌倉時代に中国から禅宗が入って来たときでした。お釈迦様の滅後に経典をまとめた五百羅漢信仰が流行したのは江戸時代の中頃以降です。
その頃から「死者に会える」という信仰も広がりました。五百体の羅漢像の中に自分の身近な人にそっくりの顔に出会うことから「亡き親、子供、いとしい人に会いたくば、五百羅漢にこもれ」と云われるようになりました。五百体の羅漢がいれば、身近な人に似ている顔があるのも不思議ではないですね。
ところで、五百羅漢(正式には「阿羅漢」と書きますが)は全員、拳法を究めた武僧のことを指すこともあるようです。中国では、お寺を守る役割もあった僧兵が仏の教えを学びながら武道も合せて修行していました。この僧のことを「阿羅漢」と言うらしいです。少林寺で教えられている武道の中には「羅漢拳」があります。
大分県に初めて行ったときに別府出身の陶芸家、藤井さんがあちこち案内してくれました。私が羅漢さんを好きだと分かって、わざわざ宇佐市まで車を走らせてくれました。五百羅漢のあるこのお寺に久しぶりに行く藤井さんは近くまで行って、途中道が分からなくなりました。たまたま通りかかった10歳くらいのものすごく可愛い女の子に「ねぇ、五百羅漢に行くにはどうしたらいいの?」と訪ねました。答えは至って簡単でした:「知らん!」。
何も言えなくなった藤井さんは私を見て:「安道礼!彼女はそれこそ九州おんなです。可愛くって強い。」
3分後、600年以上の歴史を持つ素朴な医王山東光寺の門をくぐりました。
日本に来て半年後、初めて秩父市の真福寺の五百羅漢さんを見てから、色々な羅漢を訪ねて歩きました。盛岡市の報恩寺、山形市の金勝寺、高崎市の法輪寺、川越市の喜多院、小田原市の玉宝寺、目黒区の五百羅漢寺、佐渡島の大蓮寺、長野市の善光寺。そして勿論、全国羅漢寺の総本山の大分県の羅漢寺。
一番好きなのは? 初めて羅漢さんを見た秩父市の真福寺です。一番の思い出は?宇佐市の東光寺です。「知らん」という一言で大人の世界を拒絶した女の子と永遠に結びついた素朴なちょっと寂しいこのお寺です。
一番嫌いなのは?ありません。強いて言えば大分県の羅漢寺です。羅漢寺山の頂上までリフトがあるからではありません。五百羅漢と言いながら3777体あるからでもありません。沢山のシャモジがあるからでもありません。理由は別にあります。「これから連れてってあげる羅漢寺は安道礼のためです」と藤井さんに言われて案内されたこのお寺は「ボケ防止に御利益大」だということが分かったからです。
おおらかで一体一体、個性を持っている羅漢さんが大好きです。庶民的な顔、変化に富んだ豊かな表情をした羅漢さんが大のお気に入りです。笑った顔、苦しむ顔、怒った顔、悲しむ顔、泣いた顔、寝た顔、うずめた顔、瞑想にふけった顔、おどけた顔、とぼけた顔...本当に見飽きないです。
最後に質問を一つ。何回か日本の子供達の歌っている「羅漢さんがそろったら、まわそじゃないか」を聞いたことがありますが「まわそじゃないか」って、どういう意味ですか。何をまわすのですか。羅漢さんがそろわないとまわせないのですか。「そろったら」って「そろったとき」の意味ですか。それとも「もし、そろったら」の意味ですか。
ボケ始めたのではないかと時々思う安道礼より。
初めて家に来たお客さんにはいつも「芳名帳」に一言を書いてもらうように頼んでいます。
その時がこの羅漢さんの出番です。
「すみませんがよろしかったら、この方を見て、何を言っているかを想像してそこに書いて下さい。」
今まで書かれた文句のいくつかを紹介したいと思います。
○ アーッ!そこの若者、ちゃんとおがみなさい!
○ こら!しっかり 勉強せんかい!
○ 「おい!入れ歯はどこだ~?」 「は?」
○ ねーちゃん 茶しばかへん?
○ ワシのピッザのアンチョビー を食ったのは君かぁ~?
○ おっ!べっぴんさんやなー!
○ 「飾り毛のない人」を言ったのは誰だ?
○ ワシにも飲ませろー!
○ ズッコケたっていいじゃん!行け~!
○ それじゃ だめだ~!
○ ひゃー!すげぇー美人だぁー!
○ 安道礼!おれのカツラ、返せ!
○ だれだ!「アンドレ・ガルデラ」の代わりに「アンナニ・ハゲデラ」を書いた?
雷親父
2002年6月、パリの展覧会の際に出された作品で、見に来てくれたお客さんの間で一番人気の作品でした。
大きく開いたデフォルメされた口、グロテスクなほっぺた、交差している飛び出しそうな眼球、握った拳骨を前に。すべて「怒気」を感じさせられます。遠くから見ても彼の怒声が聞こえてきそう。「髪の不自由」な方で良かった。怒髪でもしていたらあまりにも「恐ろしい」作品になるからです。
「腹立つ」。なんと面白い言い方でしょう。辞書を調べると:「怒りのために腹の中が燃えるようになる」という説明が書いてありますが、何で燃える時に腹が「立つ」かについて説明がありません。でも、確かにそのイメージがいいですね。
日本語には他にも面白い言い方が沢山あります。床屋さんに行くとよく「耳を出しましょうか」と聞かれます。その時、「もう、頭から出てるやんけ」と言いたいのですが、落ち着いた声でいつも「はぁ、お願いします」と答えます。
左の方と同じくらい「髪の不自由」な私が大阪の床屋さんで残り少ない髪の毛をシャンプーしてもらってから聞かれたのは:「外人はん、今日は分け目、どないすんねん?」
「そうですね。今日はやっぱり真ん中につけてもらうかな」とぼけた。店の中で爆笑。
私の心も笑っていた。でも腹が立っていた。
フランス語ではその状況を Rire jaune (直訳:黄い笑いをする)と言う。「苦笑いする、作り笑いする」を意味します。それなりに面白い言い方でしょう。
なお、何で「黄色い」かは聞かないで下さい。フランス語の辞書にも説明がありません。
がまん、がまん
この作品を見るたび、彼の言いたいことを想像します。今まで考え思いついた彼のいくつかの言い分:
「我慢できない痛みを我慢巣するんだ!それが男だ!...でもイッテェ」
「怒るのを我慢してるんだ。」 「してない、してない。」
「先生、もういい加減にしてよ!『石の上にも三年』と言われてからもう半世紀だ!」
「後8秒で、『息止世界大会』のチャンピオンになれる...」 「おい!誰か、救急車を呼べ!」
「我慢の角はなかなか出て来まへんな。」
「それでも 『我慢の山』 に見えんのか。」
「ワシ、お小遣いをあげてもらうまでは折れないぞ。絶対にな。」
「あんな課長には我慢できま...へ~ん!」と次の瞬間、下の人に変身する。
がんばるんだ!
この人形とその上の人形を同時に購入してから、牧牛先生の作品をコレクションし始めようと決心しました。その時まで見たこともなかったこの表情、この動き、このポ-ズ!
フランス語圏の象牙海岸を訪ねたとき、首都アビジャンから車で20分のところある小学校の門の上にフランス語で「忍耐力は人生の護符である」と書かれていました。このアフリカのことわざは全世界の学校の門に深く掘られるべきだと思います。
毎朝5時頃、朝風呂に入る前にテラスに出てその日の初タバコに火をつけます。
毎朝、同じ時間に一組の老夫婦が私の住んでいるマンションの前を歩いています。元気なおばあちゃんが先頭で両手を大きく動かして何かに突入するように。その後を数メートル離れて、恐らくリハビリのために、じいちゃんが不自由な右足を引きずって、ばあちゃんの背中を見ながら歩いています。一所懸命。毎日。
ばあちゃんの背中には「じい、頑張って!」とでも書いてあるのでしょうか。その背中を見て、じいが毎日頑張っています。
六階からタバコをぷかぷかふかしながらその風景を見ている自分が何となく小さくてみじめ。
落馬して体が不自由になったスパーマンの役を演じたクリストファー・リーブが言ったこと:「ヒーローというのは難関や妨害を乗り越える力のある普通の人。」
あの老夫婦のための言葉。じいちゃんはばあちゃんのヒーロー、ばあちゃんはじいちゃんのヒロイン。